沢木幸太郎の旅する力を読んで

昨日は、暑い中いわきまで行ってきました。
帰り道新舞子自転車屋さんにより、ドローンを飛ばして見せてあげて喜んでもらえました。
新舞子ハイツのところにできたサイクルターミナルにより、海岸線を走って帰ってきたのだけれども、途中ドローンを飛ばして自撮りしようと思ったのだけれども、画面が太陽でよく見えなくて、失敗に終わりました。😅
孫は2時20分に帰ってくるのでそれに間に合うようにと思っていたのだけれども、向かい風がきつくてお昼も食べている時間もなかったので、休みもなく夢中で走ってきたら、孫は隣のステップさんに保護されていたよ。笑
小説風に書いてみました。😅
沢木幸太郎の旅する力を読んでいます。
冒頭に旅とは何か、その問いに対する答えは無数に、あるだろうだが私には大槻文彦が体験会で記した次の展開が最も的を得たように思われる。
家を出て、遠きに行き途中にあることと書いている。
今テレビでは、旅番組がたくさんあるが、特に人気なのは路線バスの旅や、出川哲郎の充電させてもらえませんかなどである。
どちらも途中を楽しむ番組で、充電させてもらえませんかは、2時間充電して20キロと非効率的な充電バイクで旅をするわけである。
それなら自転車の方がよっぽど早く移動できるのだが、その非効率なバイクで途中知らない人家やお店で充電させてもらうことによってコミニケーションが生まれ、人の温かさに触れ、見る人を幸せな気持ちにさせてくれる。
私の最初の旅は、高校1年の時に小学校の時に買った五段変速の自転車で牡鹿半島を 1周してきたことだ。
リアキャリアにパニアバックと個人用の三角テントを積んで出発した。
今なら1人用のテントもありもっと荷物も少なくできたのだが、その当時は三角テントが一般的だった。
家から6号線を北上して、途中おにぎりを食べようと、お店に入ったらお店のおばさんが、なすの漬物と味噌汁を出してくれた。六号線はその後バイクや車で何度も通るのだが、その店が忘れられなくていつも思い出しながら通っていた。
古い農家風の建物だったのだが、20年以上経った頃だったろうか、文化中沢に建て替えられ思い出が消えたようで、少し寂しかったのを覚えている。
女川では、テントを張るのに新しい団地があったので、空いてる所にテントを張っていいかどうか聞きに行ったら、テントを張っても良いけれどもよかったらうちに泊まりなさいと泊めていただいた。
洗濯物があったら洗濯するから出すように言われたが、若い娘さんがいたのでさすがにパンツは恥ずかしくて出せなかった。
それにしても、今ならアウター縛りでキャンプ道具を積んで走っているようなもので、二度と5段変速では来ないと心に固く誓った。
自転車の旅は、たくさん思い出があるのだが、自転車なしで、1番思い出の旅はなんといっても、初の海外旅行の新婚旅行だ。
その頃私は給料を全部親に渡していたので、結婚が決まっても貯金は0円
結婚式場の旅行会社の人に、グアムはどうですかと言われ、帰りに本屋でグアムのガイドブックを買ったのを覚えている。
その後の打ち合わせで、本当はどこに行きたかったのですかと聞かれ、アントニオガウディの建物が見たいのでスペインのバルセロナに行きたかったと言うと、旅行者の人がそれなら安いチケットを探しましょうと言ってくれた。
その頃はまだ格安チケットなどなかったので、ましてやスペインに行く人などほとんどなく、チケットが手に入ったのは結婚式の1週間前だった。
ツアーとは名ばかりで、往復の航空券と1泊目の宿しか決まってない旅でした。
オランダのスキポール空港では念のために乗り換えに時間をとっていたため、時間を持て余し空港内でチョコレートを買ったりして時間をつぶした。
空から見ていると緑の豊かなフランスからピレネー山脈を越え、茶色い景色のスペインに入ったのは印象的だった。
飛行機の中でビザの申請書を書くのにも、書き方がわからず隣の席のスペインの女の子に教えてもらいながら書いた。
バルセロナに到着して、まず考えたのはアルハンブラ宮殿のあるグラナダにどうやって行くかと言うことである。
とりあえずそこは飛行機で行くことにして翌日のチケットを買うことにした。
片言の英語で、グラナダに行くチケットが欲しいことを伝えメモに何月何日と書いて念のために、スペイン語でマニャーナ明日と書いたらこれは逆ではないかと教えてくれた。
今でこそカードは何月何年となっているが、その頃は逆に書く事は知らなかった。
空港から電車でバルセロナまで行くのだけれども、チケットの買い方がわからない。
チケットを持ってない場合は罰金として倍の金額を徴収するようなことが書いてあったのだが、大した金額ではないのでそのまま乗り込んだ。
案の定車掌が回ってきて倍の金額を払うことになった。
駅からホテルまでは、少し距離があったのだがバスの乗り方も分からないので、あるっていった。
ホテルでチェックインをしてから、バルセロナの街を散策した。
市場がので入ってみると、いろいろな食材があり、いちごが美味しそうだったので購入することにしたのだが、言葉がスペイン語しか通じないのでどうやって買っていいかわからず、結局1キロも買ってしまいビニール袋に大量のイチゴを食べながら歩く羽目になった。
スペインは美人が多く、売り子の女の子もモデルといっても通用する位可愛い子だった。
遊覧船に乗ろうと思ったのだが、嫁さんが具合が悪くなったので諦めていちどホテルに戻った。
夕方になり夕飯はどこで食べるか悩んで、とりあえず外に出て店を探した。
バルと言う立ち飲みのお店に入ったら、ここで食事は出してないと言われ、ぐるぐる歩いてやっとレストランを見つけた。
ホテルの近くの店だったので、メニューは英語とスペイン語と両方で書いてあり何とか注文することができた。
最初にオレンジがナイフと一緒に出てきて、戸惑っていると優しそうな女主人がナイフできれいにオレンジをむいてくれた。
1泊目の宿は、世界のホテルと言う雑誌にも載っているほど立派なホテルで部屋数もたくさんありスイートルームのような部屋だった。
部屋はホテルの最上階近くにあり、窓の腰が低くてちょっと怖かったのを覚えている。
続きは翌日に続く。笑