嫁さんが、定期検診で友部の県立中央病院に行くというので、二時間ほど待ちそうなので待ち時間に少し自転車で走ることにしました。
調べると、筑波海軍航空隊記念館がありました。
ゆっくり中を観たかったのですが、時間がないので今回は外観だけ観てきました。
終戦から70年という月日が経ち、その記憶・資料は急速に失われつつあります。
筑波海軍航空隊プロジェクトでは、(1)日本最大規模で現存する遺構(2)特攻という悲劇の地(3)『永遠の0』の物語の舞台、という特徴を持つ貴重な文化遺産である旧筑波海軍特攻隊史跡の一般公開を行う中で、未来を担う子供たちを含む幅広い年代の方へ戦争の記憶の継承を図る事を目的としているということです。
もともとこの戦跡のほとんどは、取り壊しが決まっていました。しかし、2013年に公開された映画「永遠の0」のロケ地となったことをきっかけに、期間限定で一般公開がスタート。その反響が大きかったため、2018年に「事業の公営化」が決まり、司令部庁舎に併設する形で展示館が開設した、という経緯があります。
筑波海軍航空隊は、戦局が厳しくなるにつれ、海軍兵学校出身の戦闘機搭乗員の訓練地となったこともあり、海軍の主要航空隊としての位置づけを深めていきます。
そして、近年の研究では、最初の特攻志願者を生んだ航空隊であるということも分かりました。
人類史上初めて、体当たりの特攻を前提に設立された航空隊の設立は、戦争末期、戦局が厳しくなっていく1944(昭和19)年10月1日のことです。「第721海軍航空隊(通称:神雷部隊)」。そして神雷部隊の、実際に体当たりを行う「桜花隊」の分隊長が、この筑波空で、事前に選出されていました。
この神雷部隊は、“桜花”という航空特攻兵器を使用する部隊として誕生しました。桜花は、機体の前身に1.2トンの爆弾を積んでおり、小さな翼でグライダーのように飛び、噴推機を点火し加速します。今でいう誘導ミサイルの誘導を人間に行わせるというような構想で、成功すれば搭乗員は必ず死ぬ。
体当たり攻撃を行うことを前提に設立された正規の航空隊というのは、他に例がありません。その後、神雷部隊は、桜花や零戦による特攻で、海軍最多の特攻戦死者を出した航空隊となりました。
始まりは一少尉の思いつきだったかもしれませんが、桜花の開発はやがて大きな流れとなっていきます。昭和19年秋には、桜花を主装備とした空中特攻専門部隊「第721海軍航空隊(通称「神雷[じんらい]部隊」)」の編成が始まり、訓練も行われました。
ちなみに、桜花の母機は、一式陸上攻撃機という爆撃機。桜花を抱えた鈍重な母機を、敵艦隊の近くまで護衛すること、さらには桜花を発射したのち、無事に帰還することに大きな困難が伴うことが、当初から予想されていました。
初代飛行隊長の野中少佐も、「この槍、使い難し」と評したとのことです。
「神雷部隊」の一式陸攻と桜花11型「桜花」の開発と生産にメドが立ったことから、桜花を装備した空中特攻専門部隊が編成された。写真は「神雷部隊」の一式陸攻と桜花11型。
桜花の初陣は昭和20年3月21日、沖縄方面の敵機動艦隊に対する攻撃でした。
戦果はなく、出撃した18機全機が敵艦隊に接近する前に撃墜されるという悲惨なものだったということです。
続く第二陣も戦果を挙げられず、はじめて戦果を挙げたのは、4月12日の第三陣。その戦果は、駆逐艦1隻を撃沈、1隻に命中し貫通、というもの。
従来の魚雷や爆弾投下による攻撃と比べれば、はるかに高い命中率を達成したものの、桜花攻撃が難しいことがあらためて明らかになったということです。
そんなわけで、母機を含めて航空搭乗員を激しく消耗する桜花攻撃は、長く続きませんでした。
母機は桜花を発射したあと、帰還して再出撃することになっていましたが、実際には、母機と桜花が一緒に撃墜される例も多く、損害が大きすぎたため、桜花特攻のコンセプト自体が破綻してしまったということです。
今回の目的地の愛宕山に着きました。
途中は結構な上り坂でした。
時間がないので、必死でのぼりました。笑
愛宕山は、春になると中腹から山頂にかけて見事な桜が咲き誇り、山が ピンク色に染まっていきます。しかも、標高差によって開花時期 がずれるため、長い間花が楽しめ、その姿はまるで桜が山を登っていく ようです。 愛宕山の山頂にある愛宕神社は、日本三大火防神社のひとつといわれており、 創建が大同元年(806年)と伝えられている歴史ある神社です。
愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、天狗にまつわる 場所も多くあります。そのひとつに、通称百垣と呼ばれる長い 階段の途中を少し入った所の岩の上には、天狗の修行の地と言われる 石尊があります。
絵馬 昔、愛宕山が岩間山といわれていた頃、 筑波山、加波山と並んで、ここは天狗の修験道場のひとつでした。 ここには最初5人の天狗が住んでいましたが、だんだん増えて 12人となり、やがて長楽寺からひとりの天狗が加わり、 13人の大、小天狗が住むようになり、「十三天狗」と呼ばれるように なりました。 天狗たちは、羽団扇を持って雲にのり、大空を矢よりも早く飛び 妖魔を打ち払い、厳しい修行で身につけた術によって重い病人 を救ったり、天候を予知して作物の豊凶を占ったりして、人々を 幸せにしていました。 現在でも飯綱神社の裏側に「十三天狗の祠(ほこら)」と言われる十三個の石の祠や、天狗修行の地と言われる石尊(せきそん)などが残っています。 天狗の姿は人間には見えないとされていますが、天狗の森を 散策していると、もしかしたら出会えるかも。笑
その他、愛宕神社の裏にある階段をさらに登っていくと、そこには 飯綱神社があります。 創建は不詳ですが、江戸時代の「新編常陸国誌」という文献に出てきま すので、江戸時代からの存在は確認できます。
また、山頂付近には、あたご天狗の森があり、大駐車場のほか 宿泊施設やフォレストハウス、公衆トイレ、太平洋まで一望できる展望デッキなどが整備されており、四季を通して多くの方々が訪れているということです。
滝入不動尊の方に降りていったのですが、道が細く苔が生えていました。
車で上るのには向いていませんね。
店舗は比較的新しいです。
入ると、漫画が本棚に並んでいました。
時間が1時を過ぎていたので、空いていました。
奥に小上がりがあります。
ざるが円で天ざるが1050円と安いです。
天ざるそばととたぬきそばを注文しました。
そばも美味しかったです。
他の店では、大盛りになるくらいのボリュームがありました。
天ぷらもきれいに揚がっていて海老も付いていました。
CPは高いです。
隣のテーブルの年配の女性は、余った天ぷらをパックに詰めてもらっていました。
JA茨城ひたち とうふ工房名水亭なか里に寄りました。
揚げ物を購入しようと思ったのですが、もう時間が遅くて売り切れでした。
青大豆700円と白大豆500円と青大豆の寄席豆腐を購入しました。
帰ってから寄せ豆腐を食べたのですが美味しかったです。
亀印の御岩神社に献上する極みのどら焼きも売っていました。