事務所をスタートして四時ダムで休憩です。
289号をひたすら登ります。
ここまでくればあと少しです。
ダウンヒルは気持ちが良いのですが、横風で飛ばされそうです。(汗)
塙に到着です。
目的の中華屋さんはまだ開店していないので、塙駅に行ってみました。
丁度下りの電車が来るところでした。
まだ時間があったので図書館に行ってみました。
靴を脱いで入りました。
なかなかお洒落です。
電気スタンドもお洒落ですね。
弱虫ペダルもおいてありました。
流石、自転車に力を入れている街です
温まりました。
寒かったのですが、コロナ対策で窓も少し開けてありました。
入口近くのテーブル席に座りました。
カウンターの下にはいろいろなお酒がありました。
値段も良心的です。
メニューをみてHさんは五目あんかけ醤油焼きそば950円
私はとても寒かったので、あんかけの酸辣湯麺なら温まるかなと酸辣湯麺950円にしました。
五目あんかけ醤油焼きそばも美味しかったそうです。
芯から温まりました。
奥州一之宮 八槻都々古別神社に到着です。 Hさんは初めてということでした。 都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮"にあたります。 縁起によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として示現した三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれています。 祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭り、農耕神としての性格が古く、のちに武神が加わったものと考えられます。その年の新籾を藁苞に入れて(ツトッコという)奉納し、その折他のツトッコをいただいて帰る風習(霜月の大祭)や桝廻しの神事、あるいは御田植の神事(旧正月6日)等の存在は、農耕神の性格を物語ります。 社宝には銅鉢(国指定重要文化財)、木面十一面観音立像(国認定重要美術品)など数多くの貴重な文化財が遺されています。 御田植祭(旧暦1月6日:令和3年2月17日) 御田植祭は穀物の豊穣を祈って神楽を奉納するお祭りで、拝殿において、ユーモラスな舞と掛け合いで一連の稲作風景が演じられます。(国指定重要無形文化財) 宮司の祝詞奏上から始まり、楽人による奉納の舞が行われます。約400年の歴史を持つ、伝統行事です。 今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、今年度は祭事のみ執り行いました。
自転車で何度目かの訪問です。
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)などがあり、数多くの貴重な文化財が保管されています。
石川まで向かい風です。
石川駅でトイレ休憩です
お菓子のさかい 石川本店で軽く補給です。
私は一つ
Hさんは2つ買いました。
アマビエブッセも美味しそうです。
石都々古和氣神社に到着です。
正面の石段でなく裏から登りました。
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)は、延喜式内社の一つに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として、多くの方々に信崇敬されていました。又、全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれています。約一万年位前から信仰されており、多くの磐境が山々に点在していて、屏風岩、船形岩、鏡岩(2基)、亀石、天狗石、石門(鳥居)、更には三種の神器と言われる剣、玉(勾玉)、鏡等があります。
海岸線のサイクリングロードを走りました。
私が設計した公衆トイレです。
大津港の夕日もいい感じでした。
向かい風で大変でしたが、盛りだくさんで楽しかったです。
中華四川料理精華に行きました。
開店と同時にお客さんが続々と入ってきました。