沢木幸太郎の旅のつばくろを読み終わりました。
自転車の仲間の目黒さんが、新幹線の中でよくこのエッセイを読んでいたと言っていたので、新幹線の中に置いてある雑誌に掲載されていたのかなと思っていたのですが、あとがきの中でJR東日本が発行しているトランベールと言う雑誌から依頼されて掲載してあると言う事が書いてありました。
筆者のはじめての大きな旅は、16歳の時に東北を1周したと言うことで、私も16歳の時に自転車で東北を一周近くしたので、同じだと思って読んでいました。
その時は、1泊目は前の年に女川で泊めてもらった家で泊めてもらい一緒に花火を見に行きました。
2泊目は唐桑半島で国民宿舎はいっぱいで今日はどこに泊まろうと思いながらスタンディングをしていたらそこにいた高校生が拍手をしてくれてそれから知り合いになり、高校生の家に泊めてもらいました。
3日目は三陸海岸の都で、学校で野宿しようかと思ったらちょうどお祭りで、泊められないけれどもこれからお祭りの人たちが集まるので余っている赤飯をよかったらと言って貰いました。
素泊まりの宿を見つけて、箸を借りようと思ったらおかずまで出してくれましたよ。
4日目は盛岡の少し北のドライブインで泊まりましたが、次の日は朝から雨でした。
午前中まだ舗装してないところを走り、服がドロドロになってしまったので、近くの民家で着替えさせてもらいました。
さて出ようと思ったらまた雨が降ってきて、その家のおばあさんが止むまで待ってなさいと言ってくれて、待っていたのですが、雨がなかなか止まなくて、そのうちお昼になってしまい、そうめんを茹でたから食べなさいと言われご馳走になりました。
それからも雨が止まなくて、結局泊まっていきなさいと言われて泊めててもらいましたよ。
お母さんの言葉わかったのですがお孫さんの言葉は方言がきつくて理解するのが大変でした。笑
家に電話をすると、親戚に不幸があり旅の途中だったのですが急いで戻ることにしました。
次の日家の人が無人駅でなく人が居る駅まで車で送ってくれました。
おにぎりととうもろこしもお昼にと作ってくれました。感謝です。
その後秋田のトライアスロンに行く時にその近くを通ったらで家を探したのですが何十年も経っていたので見つかりませんでした。
その他にも東北は何度も自転車で走っておりいろいろな思い出があります。
浅虫温泉のユースでは、みんな毎日ご飯を5杯位食べていたので、ユースの人が余っているおひつはみんなあそこへ持っていってと言われたのも良い想い出です。
男鹿半島のユースでは、お風呂の中で小学生の兄弟と知り合い、冬に妹とその小学生の住んでいる盛岡まで遊びに行ったこともありました。
このメッセージを読んでいると今までの旅が走馬灯のように思い出されてとても懐かしい気持ちになりましたよ。
いわきまで久しぶりにドグマで行こうと思ったら、変速が出来ません。
Di2のバッテリーが切れて居ました。(^◇^;)
バッテリーを50%まで充電して出発しました。
住宅センターまで行ってから風サイクルに寄りました。フレームの製作所がお店の半分を占めて居ます。
折角なのでドローンを飛ばして見せてあげました。
それからサイクルステーションに寄りました。
誰も居ませんでした。
いわきのジャージも売って居る?
メンテナンススタンドもありました。
塩屋埼岬にもちょっと寄りました。
写真を撮ってもらったのですが灯台と自転車がカットされて居ました。(^◇^;)