駅前にはSLが飾ってあります。
駅前には赤べこの発祥の地の看板がありました。
構内には写真が沢山飾ってありました。
郵便ポストの上にも赤べこが載っています。
駅は無人駅です。
タクシーも赤べこが描かれていました。
電車に乗ってから、レーサーシューズではなくてスキーカーのままなのに気が付きました。
少し川霧が出ていました。
やっぱりいい感じですね。
2両編成ですが、同じ車両には、他に乗客は一人でした。ほぼ貸し切りです。
会津川口駅に到着です。
ここからバスで只見駅まで代行です。
バスは他に乗客は居ませんでした。
本当に貸し切りです。
只見駅に到着です。
自転車を組み立てて出発です。
田園風景が良いです
釣りをしているカカシがありました。
只見ダムに到着です。
遠くの山が雪がまだかぶっていていい感じです。
風が無くて只見湖に映っていました。
いつもは通り過ぎてしまったのですが、叶津番所(かのうづばんしょ)に今回は寄ってみました。
草刈りをしている人が居ました。
中を案内してくれました。叶津番所は、戦国時代から続いた会津と越後を結ぶ八十里越の関所です。今は、福島県の重要文化財に指定されています。
江戸時代、長谷部家住宅は叶津番所と呼ばれ、会津と越後を結ぶ八重里越えの関所として通行人や物資の出入りを監視する役目を持っていました。叶津村名主宅でもあり、明治時代には戸長役場として使用されました。桁行13間近い規模の大きな厩中門造りで、江戸時代後期の建築です。
わらで作った昔の長靴のようなものがありました。
昔は雪深かったのでしょうね。足がすっぽり入る感じです。
箱入り娘の部屋が2階にありました。
昔は夜這いもあったので、夜這いされないような位置に階段もありました。
二階は蚕の部屋になっています。
煤が小屋裏にすっかりついて防虫や縄の強度を増しています。
大塩の炭酸水に着きました。
少し手前にもあります。
こちらは立派ですね。
炭酸水の由来が書いてある看板がありました。
大潮の地獄沢に湧き出すガス泉が、薬泉であると評判になっていました。
明治十年にこの天然炭酸水を白磁の瓶に詰め、旧会津藩士が「太陽水」と命名し、合図はもとより近年の薬店におろし、慢性胃腸、糖尿病、便秘の妙薬として販売していたということです。
令和2年にTOKIOの国分太一さんの手紙が貼ってありました。
鉄腕ダッシュで人脈食堂で炭酸水を使った料理を作りたいので是非使いたいということです。
二人、井戸に落ちて亡くなっているので厳重になっています。
炭酸水はほんとパチパチして美味しいです。
4月が本当はもっと美味しいらしいです。
不二屋食堂でランチと思いましたが、「東京からですか?」と聞かれました。
「茨城の福島との県境です。」と答えたら町民以外は断っているのですみません」と言われました。
コロナ禍で断れるのは仕方ないですが、それなら張り紙をするか、最初から「東京からですか?」なんて聞かなければ良いのにと思いました。
こぶし館に到着です。
ここでランチすることにしました。
コロナ禍対策でドアは全部開けてあります。
券売機で食券を買います。
何にするか悩みますね。
イチオシはアザキ大根高遠そばです
人気ナンバー1は煮込みかつ丼です
ざるそばとミニカツ丼1050円と煮込みかつ丼850円にしました。
水はセルフです。
三密にならないように、二人ずつ前向きに座るように配置されています。
蕎麦はまあまあです。ソースカツ丼も肉は薄いですが、柔らかかったです。
煮込みカツ丼は一番無難かもしれません。
結構美味しかったです。
道の駅尾瀬街道みしま宿に到着です。
展望台の方から人が歩いてきます。
10分くらい前に電車が通ったようです。
あと少し早く来れば見られたので惜しかったです。
桐炭のソフトクリーム330円がありました。
キリタンは桐のトップブランドである会津銅の中でも特級品である三島桐をはじめとした品質の高い桐材を利用し、炭化してその特性を活用したということでした。
味はチョコレート味です。
普通に美味しかったです。
福満虚空蔵尊 円蔵寺に到着です。
圓蔵寺は大同2年(807)に徳一大師によって開創されたと伝えられ、御本尊の福満虚空蔵尊は弘法大師の作と伝えられます。日本三大虚空蔵尊のひとつ、丑寅年生まれの守本尊として知られおり、県十大祭りのひとつ七日堂裸まいりは、1年の幸福と無病息災を祈る奇祭として知られています。
一度は見てみたいのですが、なかなか観られませんね。
日本三所の虚空蔵菩薩の一つに数えられる福満虚空藏菩薩。今から凡そ千二百有余年の昔、大同2年(807年)名僧徳一大師によって開創され、本尊の福満虚空藏菩薩は弘法大使により刻まれたと伝えられています。
丑歳・寅歳生れの守り本尊と云われる虚空藏菩薩。虚空藏菩薩は、虚空が広大無辺の功徳を包み無限に「智慧・慈悲」をそなえ、「如何なる人でも福徳円満が授かる因縁を有している」と云われています。
赤べこ発祥の地で、虚空藏堂再建のため、大材運搬の手伝いに現れた赤毛の牛の群れ。一生懸命手伝った赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さ、さらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれています。
コロナ禍で人がほとんどいませんでした。
赤べこも撤去されていました。
ゴールです。