塞王の盾と赤い指と孫とポタリング

今村翔吾の塞王の楯を読みました。
552ページは読み応えがありましたが、最初から最後までおもしろかったです。
塞王とは、戦国時代お城の石垣を作る集団の中でも、その頂点で石の声を聞きその技を極めたものを指す言葉です。
城攻めで、石積みは守る方であり、楯でもあります。
そしてライバルは攻め手で矛でもありで、鉄砲集団の頂点に立つので、そのやりとりも面白かったです。
琵琶湖の大津城を舞台に話は進んでいくのですが、なかなか微笑ましいところもありよかったです。
オススメの一冊ですね。
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東野圭吾の赤い指を読みました。
主人公は普通の母親と同居のサラリーマンで、ある日嫁からすぐ帰ってきてと電話があり、戻ってみると少女の死体が庭にありました。
引きこもりの長男が殺してしまったのです。
なかなか面白かったです。f:id:u_rotas:20220105173242j:plain

孫と走ってきました。

BiciTomoジャージが似合います。f:id:u_rotas:20220105173245j:plain

まだ小学校3年なのでうちにある自転車ではまだ大きいのですが、このKLEINが一番小さいです。f:id:u_rotas:20220105173248j:plain

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大塚神社まで来ました。

この神社は常磐自動車道・関本PAの南西約1.2km、神社から高速道路が良く見える、水田地帯の中の小高い丘に鎮座しています。今では鬱蒼とした樹木に覆われ、研究者にしかその存在は分からないかと思われますが、この丘は古より大塚と呼ばれた前方後円墳です。
 由緒書きによると「御祭神:倉稻魂命(五穀豊穣、国家安護の御祭神)
 永承年間(1046~52)源頼義、北征の折りこの地に駐し、西道口の鎮護としてここに祠を創立し、大塚大権現と称す。文久3年(1863)再建す。現在の社殿これなり。明治になりて大塚神社と改称す。」とあります。
 ここには市指定無形民族文化財の「富士ヶ丘棒ささら」が伝承され、奉納されてきました。行列の先頭には、つゆ払いの天狗様が立ち、旗や吹き流しの梵天がひるがえる中、笛、太鼓の鳴り物にあわせて、子供たちにより角2本の雄獅子2頭、角1本の牝獅子3頭の獅子舞が演じられます。その獅子舞とともに棒術が演じられることがこのささらの特徴で、名前の由来にもなっています。このあと県境まで行ったのですが、そこで迎えに来て貰いました。^^;

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