スペイングラナダ編

グラナダ
この旅をあらためて思い返してみて、バルセロナからグラナダまでどれ位離れているのだろうかと思った。
今は、調べる気になれば、Google Mapsで簡単に距離がわかり、ストリートビューを見ればその町並みさえわかってしまう。
調べたら850キロほど離れていた。
バルセロナグラナダマドリードの位置関係も、記憶にある三角形よりいびつな形だった。
飛行機は、国内線なので国際線よりは小さなものだった。
グラナダについてターミナルまではバスで移動した。
まずは宿探しをした。
丁度バカンスの時期で、若者が沢山バックパックで旅をしていた。
宿を見つけて空いているかどうか聞くと、断られることが多かった。
同じ旅人という共通の意識があるのだろう、遠くからこっちは空いていないと身振りで教えてくれる。
中々見つからないでうろうろしていたら、バイクをいじっている若者がいた。
バイクはドカティのシングルだったと思う。
私もヤマハのバイクに乗っているのだと話すと、若者は打ち解けて笑みを浮かべてくれた。
宿を探しているというと、今聞いてやるよと、言ってくれた。そこは下宿屋で部屋は空いていると言うことだった。
優しそうな年配の女性が出てきて、何泊するのかと聞いてきた。二泊したいというと大丈夫だと言うことだった。
部屋代は一人1500円シャワーを使うなら100円と言うことだった。
部屋は広くは無いが清潔な感じだった。ベッドはスプリングがくたびれているが、寝るのには十分だった。
シャワーは出はあまり良くなかったが、まあそんな物だろうと思っていたし、100円と格安なので気にもならなかった。
夕飯はどうしたのかは、もう40年近く前のことなので忘れてしまった。
まあ、記憶に残っていないのだから簡単に済ませたのだろう。
通りに面していたので、夜まで少し賑やかだったきおくがある。
翌日はグラナダまで来た目的のアルハンブラ宮殿にいくことにした。
広いので一日かかると思い、中で食事がとれるかどうかわからないので、食料を調達するために、近くのスーパーのようなところに入り、バケットとおかずを購入。
バケットは新聞紙に包んでくれた。
アルハンブラ宮殿は想像以上に素晴らしかった。模様の細かさから根気のいる作業だと思った。
日本人は、それまで一人も会っていない。
日本人だと思って声をかけたら中国人だった。
逆に東南アジアの女の子と思ったら日本人で、初めて日本人にあった。
カメラはずっとオリンパスのOM1を使っていたのだが、この旅行に合わせてペンタックスのオートマチックを購入して持ってきた。
今ではマニュアルのカメラが珍しいが、この時はまたマニュアルが当たり前で世界初のオートフォーカスだった。
黒人の男性におーペンタックスオートマチックと声を掛けられた。
庭園は素晴らしく、買ってきたパンを食べてのんびり過ごした。
駅に行くと、マドリードの夜行があるという。
あと一泊グラナダで泊まる予定だったのだが、夜行があるなら時間を節約できると、夜行のチケットを購入した。
宿に戻り下宿の女主人にその旨を話した。
日本から持ってきた千代紙で鶴を折って渡すと、別れを惜しんで、涙を流し抱きしめてくれた。
電車は夜の10時ぐらいだったと思う。
赤道が近いのでいつまでも明るく子供たちも遅くまで、公園で遊んでいた。
寝台の二等の個室で、ベッドが二段になっていた。
斜めに壁があり、ドアがあったので、開けてみたら隣の部屋で男性が居たのには驚いた。急いで謝りドアを閉めた。
次回に続く